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    <title>ＡＡＰＡ新作公演『Papergate』</title>
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    <published>2008-01-27T17:01:18Z</published>
    <updated>2008-01-28T05:40:15Z</updated>
    
    <summary>――原風景としての都市郊外を描き出す試み 会場となった横浜市中区の“ＺＡＩＭ”(...</summary>
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        <![CDATA[――原風景としての都市郊外を描き出す試み

<a href="http://www.ryuissue.com/img/DSC_0239_s1.html" onclick="window.open('http://www.ryuissue.com/img/DSC_0239_s1.html','popup','width=581,height=389,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.ryuissue.com/img/DSC_0239_s-thumb.jpg" width="320" height="214" alt="" /></a>
<span style="font-size: xx-small">会場となった横浜市中区の“ＺＡＩＭ”(旧・関東財務局)</span>

<strong>これまで、海水浴場、旧役所庁舎、ビルの屋上などさまざまな場所を舞台として、生活環境と舞台空間との関係のあり方を継続的に探っているＡＡＰＡ（アアパ/Away at Performing Arts）。その新作公演『Papergate』（構成・演出：上本竜平）が、2007年9月27日から10月1日まで、横浜市中区のZAIM(旧・関東財務局)地下で行なわれた。</strong>]]>
        <![CDATA[<strong>┃ 巨大な地下水槽のイメージ</strong>

<a href="http://www.ryuissue.com/img/papergate01.html" onclick="window.open('http://www.ryuissue.com/img/papergate01.html','popup','width=600,height=450,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.ryuissue.com/img/papergate01-thumb.jpg" width="320" height="240" alt="" /></a>
<span style="font-size: xx-small">＝ＡＡＰＡ提供</span>


水。水なのだと思った。

それはまず、横浜の大さん橋埠頭にほど近く、旧労働基準局を改装したZAIMという、潮の香りが漂ってくるような建物の、さらに海抜はマイナスとなる地下１階が舞台空間であることもそうである。また、私は水辺を訪れたときに天候が雨であると陸と水との境界があいまいに感じられ、たとえば海のそばにいれば海の中にいるような、川のそばにいれば川の中にいるような錯覚にとらわれるのだが、当日あいにく天候が雨だったことも、そのような感覚を呼び起こさせてくれた。

演出家の上本竜平の挨拶に引き続いてわたしたちが通された、その日舞台空間となる地下室も、たとえるならば巨大な地下水槽を想起させる場所だった。そこは奥行き10メートル、幅20メートルていどの長方形の部屋なのだが、壁に沿って、入り口と観客席をむすぶ、人がひとりやっと通れるていどの木製の通路が張り巡らされている以外は、ほとんどが舞台として当てられていた。めいっぱいの暗い水で満たされた水槽と、その周縁をぐるりと取り巻くように申し訳ていどにしつらえられた木製の通路のイメージだ。室内はうす暗く、わたしは足元に注意しながら、ぎしぎしと鳴る木製のデッキを足を踏み外さないように観客席へとむかった。

上本によれば、この作品――Papergate――の根本的なテーマは彼の(そして私も同じだが)原風景として存在する「東京近郊の夜の風景」だという。

…日中に電車での通学・通勤などを目的とした移動を頻繁に行い、住んでいる街にいる時間は多くの場合が夜という日々を、現在の人生の半分に渡り(13歳頃から)行い、その光景を目に焼きつけてきた結果の積み重ねとしてある。いつもの日常では思い起こさなくても、それは確かに、記憶・印象として存在している。(Papergate　INTRODUCTIONより)

これを、数人の女性にまつわる、反復する日常の風景として描写したものが作品の根幹をなしている。


<strong>┃ 処理機関としての郊外</strong>

<a href="http://www.ryuissue.com/img/15.html" onclick="window.open('http://www.ryuissue.com/img/15.html','popup','width=600,height=450,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.ryuissue.com/img/15-thumb.jpg" width="320" height="240" alt="" /></a>
<span style="font-size: xx-small">＝ＡＡＰＡ提供</span>


作家の安土敏が東京という街をこう例えたそうだ。

首都圏における経済活動はおもに山手線の内側で行なわれており、人々は郊外から都心へと集まってきてそこで経済活動を行ない、夜にはふたたび郊外へと帰っていく。人々は自宅に帰ると、そこで食事をし、糞尿を排泄し、風呂で垢を落とし、ゴミを出し、そして寝て、また次の朝には都心へと戻ってくる。つまり、大都市の郊外というのは、経済活動のための処理機関と化している、と。

この大都市と郊外の連関のモデルは、若干ペシミスティックすぎるきらいはあるが、作品の根幹となる構造をほぼ正確にいいあてているように思われる。

劇中の複数の登場人物もまた、なかば必然的にこのような生活サイクルを営む。大都市近郊の自宅で過ごす時間の大半は夜間である。劇中では炊事、洗濯、入浴など、いわゆる“家事”と呼ばれるたぐいの活動を想起させる音が連続する。この多くが、水とは切っても切り離せないものだ。今回この作品を見るまで気づかなかったことなのだが、大都市郊外の夜の音というのは、水の音なのである。そして、この劇場空間は、いまや海に注ぎ込まんと濁流と化した下水と同じグラウンド・レヴェルにある。

安土敏の言説にもう少しふれるならば、大都市近郊で処理された人々の生活――糞尿、残飯、ゴミ、垢に代弁されるそれ――は、たいていの場合、下流に位置する大都市めがけて流れてゆく。

対極に位置する大都市と郊外のあいだを、24時間という周期でメトロノームのように行き来する人間。そして都心で笑い、泣き、喜び、怒りした感情はそのまま通勤電車に乗せられて郊外へと運ばれ、水によって洗い落とされ、また大都市のほうへと流されていく。

人間という物質と、人間に乗せられた感情と、そして排泄された物質と感情と、それぞれの要素は不思議な軌跡を描き出す。


<strong>┃ もうひとつのテーマ「光」</strong>

<a href="http://www.ryuissue.com/img/28.html" onclick="window.open('http://www.ryuissue.com/img/28.html','popup','width=600,height=450,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.ryuissue.com/img/28-thumb.jpg" width="320" height="240" alt="" /></a>
<span style="font-size: xx-small">＝ＡＡＰＡ提供</span>


ここで、この作品は本来、地上に位置する旧・東急東横線桜木町駅舎を舞台にして上演される予定だったのが、急きょ変更となってしまったという事情にもふれておかなければなるまい。上本によれば、本来の制作意図は「こうしたネガティブなイメージに縛られない郊外の生活を描き出すことだった」という。

また、水と双璧をなすもう一つのテーマは「光」だったという。都市近郊に生活する人間が自宅付近で見る夜の郊外の光を、描き出したかったという。たしかに、水銀灯の寒々とした光に照らし出された自宅付近の町並みや、ロードサイドの煌々とかがやくイルミネーション・サインの風景は、私のなかにも強い印象を残している。

はるか都心を見晴るかすターミナル駅でこの作品が上演されたのであれば、都心に拮抗しうる引力をそなえた存在として郊外を描ききることも可能だろう。あるいは、大都市で働き、暮らす多くの人びとの生活を涵養する大河の上流の水源林のような存在として郊外を描き出すことも可能だろう。それが、密閉された地下空間で演じられることによって、(予想外の効果を生むことに成功してもいるが)、いくつかのメッセージ性を失う結果となってしまったことは否めない。

上本は、この3月に同じ『Papergate』を、本来の舞台である旧・東急東横線桜木町駅舎「創造空間9001」で再演する予定だという。「最終的には、東京近郊に見られるあの間隔ある空間の使い方をもって、新たにひとが魅力に感じる風景、生活景色というものを、ダンスや建築、音や照明を通じて客席の前に描き直したいのです」■

<a href="http://aapa.jp/"target=_blank>ＡＡＰＡ（アアパ/Away at Performing Arts）公式ホームページ</a>
<a href="http://www.tvk-bb.tv/art-channel/artlog/2007/10/aapapapergate.html"target=_blank>TVK-BB Art Channel：『Papergate』公演動画（4分29秒）</a>]]>
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    <title>サブアーバン・ブックストア （ＩＩ）</title>
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    <published>2007-08-05T13:13:23Z</published>
    <updated>2007-08-05T13:18:06Z</updated>
    
    <summary> この団地をいちど機上から眺めたことがある。自宅をジェット機から見たことのある人...</summary>
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            <category term="3415publishing" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.ryuissue.com/">
        <![CDATA[<a href="http://www.ryuissue.com/img/383709298_168.html" onclick="window.open('http://www.ryuissue.com/img/383709298_168.html','popup','width=639,height=399,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.ryuissue.com/img/383709298_168-thumb.jpg" width="320" height="199" alt="" /></a>

<strong>この団地をいちど機上から眺めたことがある。自宅をジェット機から見たことのある人はあまりいないと思うが、これは偶然だ。 </strong>]]>
        <![CDATA[もう７、８年前のことになる。成田から北京へと向かうジャンボジェットだったのだが、ちょうど運よく窓際の席に当たったので、ガラスに顔をべったりとくっつけて眼下に広がる景色を見ていた。北京行きの飛行機は、成田を飛び立つと回れ右をして東京湾を横断する。そして東京都と神奈川県の境をなぞりながら西へと進んでいく。すなわち、多摩川の流れを河口から上流へとたどっていくということだ。 

<a href="http://www.ryuissue.com/img/383709298_221.html" onclick="window.open('http://www.ryuissue.com/img/383709298_221.html','popup','width=639,height=399,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.ryuissue.com/img/383709298_221-thumb.jpg" width="320" height="199" alt="" /></a>

やがて、飛行機は多摩川右岸の多摩丘陵へとルートを変える。さいしょは灰色の構造物に埋め尽くされていた風景はしだいに緑がちになってくる。そして平野がいよいよ果て、機が関東山地へと突入しようとするまさにそのとき、見慣れた街が眼下に一瞬姿をあらわした。ついさっき出てきたばかりの自分の家も、はっきりと見て取ることができた。 

やがて景色はいちめんの緑に塗り変わり、飛行機が本州の背骨を横切って日本海側に抜けるまでというもの、まとまった灰色は二度と見ることがなかった。団地はほんとうに関東平野の突端に位置していたのであり、空から見るとそれはまるで海にするどく突き出した岬のようであった。 

<a href="http://www.ryuissue.com/img/383709298_84.html" onclick="window.open('http://www.ryuissue.com/img/383709298_84.html','popup','width=639,height=399,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.ryuissue.com/img/383709298_84-thumb.jpg" width="320" height="199" alt="" /></a>

つまりこの団地は、首都圏の宅地開発の大波がかろうじて届いた末端なのであった。これは同時に、わが国の人口が増加から減少へと転じ、ふたたび人びとの流れが都心へと回帰するとき、潮の引くがごとく、まっさきに人びとが消えていく場所であることを意味する。じじつ、小学校の同窓生たちの多くはいまや都心へと引っ越してしまった。都心に近いがゆえに、よけいにストロー効果が働いているともいえよう。 

かつて隆盛を誇った都市が廃墟と化した例といえば、あの軍艦島を思い浮かべる人は少なくないはずだ。われらが団地はいうまでもなく、全国あちこちに存在するニュータウンや衛星都市の多くは、きっと数十年後に軍艦島と同様の姿をさらしているはずだ。悪夢のような想像だと感じるかもしれないが、わが国の人口は2050年には9200万人にまで減少すると予測されている。しかも大都市部ではご存じの通りのマンション建設ラッシュだ。都心部から遠ざかれば遠ざかるほど住居が余剰となるであろうことは火を見るよりも明らかだ。 

とすれば、この団地に小さな本屋を開いたオヤジの覚悟は、潮の満ち干きのつかの間に、砂浜に一本の杭を突き立てるがごとき徒労だったのだろうか。 

店じまいの日、友人が本屋を訪れると、オヤジは遠い目をして「君たちが子供を連れてくることを楽しみにしていたんだけどなあ」とつぶやいたそうだ。そして、店のバックヤードには、そんなオヤジの怨念を発するように、つい先日まで使われていた什器が山のように積み捨てられていたという。]]>
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    <title>サブアーバン・ブックストア （Ｉ）</title>
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    <published>2007-08-05T13:02:03Z</published>
    <updated>2007-08-05T13:13:06Z</updated>
    
    <summary> 小学校からの旧友からとつぜんメールがあった。開いてみると、幼いころから20年ち...</summary>
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            <category term="3415publishing" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.ryuissue.com/">
        <![CDATA[<a href="http://www.ryuissue.com/img/378819739_881.html" onclick="window.open('http://www.ryuissue.com/img/378819739_881.html','popup','width=640,height=480,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.ryuissue.com/img/378819739_88-thumb.jpg" width="320" height="240" alt="" /></a>

<strong>小学校からの旧友からとつぜんメールがあった。開いてみると、幼いころから20年ちかく暮らした団地にたったひとつあった本屋が、ついに看板を下ろしたという。 </strong>]]>
        <![CDATA[昨今の“まちの本屋さん”の多分にもれず、かねがね経営が苦しいという話は聞いていた。それは店を見れば一目瞭然だった。店内の蛍光灯は明かりが落とされ、昼間でも店内は薄暗い。店のオヤジに「これじゃお客さんがはいらないじゃないか」というと「明かりはお客さんがきたときにつければいいんだよ」というようなありさまであった。オヤジは数年前から「いつ店をたたむか、そればかり考えてんだよ」と繰り返していたが、ついにその時がきてしまったということだ。 

<a href="http://www.ryuissue.com/img/378819739_106.html" onclick="window.open('http://www.ryuissue.com/img/378819739_106.html','popup','width=640,height=480,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.ryuissue.com/img/378819739_106-thumb.jpg" width="320" height="240" alt="" /></a>

団地は、東京の西のはずれに位置する。新宿から東京都西部へと至る私鉄の急行電車で50分。東京六大学のひとつにも数えられる大学のキャンパスの最寄り駅で下車し、さらにバスに揺られること10分。山の中だ。 

高度成長期には、多摩ニュータウンや千里ニュータウンに代表される大規模な団地開発が大都市圏郊外のあちこちであいついだ。ここもそのひとつで、丘陵をまるごとひとつ切り開いて造成された都市計画団地だ。 

完成が昭和50年代後半とわりあい遅かったこともあって、ぎゅうぎゅう詰めのウサギ小屋のようなアパートはさすがに存在しない。街路樹の植えられた幅の広い道路が団地内にめぐらされている。丘のてっぺんには小学校があり、団地のどこからでもその姿を望むことができる。住居は、いわゆる戸建てふう集合住宅であるメゾネットが中心だ。ビバリーヒルズばりとはいわないが、完成当時はそこそこに瀟洒なつくりだったはずだ。 

中心部には、団地にお約束の商店街エリアが存在する。スーパーマーケットや電器屋、薬局、ベーカリー、銀行、郵便局、病院などといったひととおりの施設が揃い、それなりに町の体をなしていた。その本屋も、商店街の一角に店を構えていた。 

<a href="http://www.ryuissue.com/img/378819739_123.html" onclick="window.open('http://www.ryuissue.com/img/378819739_123.html','popup','width=640,height=480,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.ryuissue.com/img/378819739_123-thumb.jpg" width="320" height="240" alt="" /></a>

山の中の団地なので、自転車くらいしかアシがない子どもたちは、何かにつけ必然的にこの商店街に足を運ぶことになる。小学生のころには、みながその本屋で少年ジャンプを毎週買い、店の前のコインゲーム機に熱中した。 

本屋の親父がふつうの商店主とすこし毛色が違ったのは、自らがその団地の建設に携わったゼネコンの社員だったということだ。なんでも、みずからが手がけた団地に文化を根付かせようと一念発起して会社を辞め、骨をうずめる覚悟で本屋を開いたのだという。 

“文化”うんぬんという当初の目的が果たせたかどうかについては議論の余地があるが、オヤジはあるときには住人の相談役となり、あるときには不良の更生役となった。しごくまっとうな“ニッポンの商店街のオヤジ”として、団地内で存在感を発していたことには疑う余地がない。 

（つづく） 
 ]]>
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    <title>PLANETARIAの示唆するもの</title>
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    <published>2007-03-03T18:06:41Z</published>
    <updated>2007-05-17T18:23:29Z</updated>
    
    <summary>ピュ～ぴると川久保玲 ピュ～ぴるの代表作品のひとつである&quot;PLANETARIA&quot;...</summary>
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        <![CDATA[<strong>ピュ～ぴると川久保玲</strong>

<a href="http://www.ryuissue.com/img/pyuupiru.html" onclick="window.open('http://www.ryuissue.com/img/pyuupiru.html','popup','width=622,height=308,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.ryuissue.com/img/pyuupiru-thumb.jpg" width="320" height="158" alt="" /></a>

<strong>ピュ～ぴるの代表作品のひとつである"PLANETARIA"は、身体の自明性に懐疑を唱えるという点で、かの川久保玲の「こぶドレス」を強く想起させる。しかし、その創作プロセスを追っていくと、「こぶドレス」よりも多くの示唆に富み、そのまなざしはもっと奥に向かっていることに気づかされる。 </strong>]]>
        <![CDATA[彼女の代表作品のひとつである"PLANETARIA"をはじめてみたときにわたしがおもいだしたのは、かの川久保玲の「こぶドレス」だ。 

もう10年ちかくまえのコレクションになるだろうか。 　

パリで発表された、あちこちに羽毛パッドをつかった「こぶ」を縫いこみ、背中や肩、腰を不自然にふくらませたドレスのことだ。 

それはわたしたちのふだんかんがえている身体の自明性にたいしてとてもおおきな問いをなげかける、たいへんセンセーショナルなものだった。 

しかし、その問いかけはおもに身体のラインや表象としての女性性へと向かうにとどまっており、それを着るひとの内面にまではいたっていなかったようにおもえる。 



ひるがえって、ピュ～ぴるの代表作のひとつである"PLANETARIA"に目をむけてみよう。 

一連の作品をまのあたりにして、いちばん印象的なのは、やはりカラダのあちこちに縫いつけられた「こぶ」状の物体である。 

ある作品では腕そのものがこぶにのみこまれ、またある作品ではいくつものこぶが身体のラインじたいをまったく覆いかくしてしまっている。 

彼女の作品は、妄想や強迫観念からうまれた独自の世界観からなりたっているといわれる。 

とすれば、やはりこのシンボリックな「こぶ」は、さまざまな妄想や強迫観念をはじめとする創作者の内面がかたちをもって、身体の表面にあらわれでたものだと考えるのが適当だろう。 



「こぶ」のひとつひとつにどのような情念がこめられているのかについて、わたしには知るよしもない。 

しかし、この"PLANETARIA"は、さきの「こぶドレス」よりももっとおおくの示唆をわたしたちにあたえてくれているように思えてならない。 

それは、妄想や強迫観念などといった感情をも創作のモチベーションとして取り込みながら、人間の内面と身体の表象を文字どおり「縫いあわせ」、また創作者みずからがそれを身にまといひとつの作品として昇華させる、というプロセスがほかに例をみないからだ。 

川久保のまなざしの到達点がせいぜい身体の自明性にとどまっているのにたいして、、ピュ～ぴるはみずからの荒ぶる感情をも創作の推進力として取り込んでしまうという命がけのプロセスを経ることで、そのまなざしを人間の内面へまで軽々と到達させることに成功している。 

しかも、それぞれの作品に天体の名前をあたえてひとつのユニバースとして自己完結させることで、さまざまな区別や区分、差異、境界線などを無化するたくらみに成功してしまっている。 

身体のラインや表象ばかりか人間の内面に向けても、その自明性にたいしては懐疑をとなえ、そして多様性にたいしては寛容やあたたかいまなざしをそそぐ。 それが唯一無二なピュ～ぴるの存在意義であろう。

<a href="http://www.pyuupiru.com/">ピュ～ぴる公式サイト</a>
<a href="http://pyuupiru.seesaa.net/">PYUUPIRU'S OFFICIAL BLOG</a>]]>
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    <title>だんじり考(下)</title>
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    <published>2007-02-18T17:02:25Z</published>
    <updated>2007-02-18T17:10:36Z</updated>
    
    <summary>だんじりが人びとに愛されるのは、誰もが破滅的な行動への願望を持っており、組織や国家の一員となって身を委ね、ときには命を失うことへの願望をも潜在的に抱いていることの証左ではないだろうか。</summary>
    <author>
        <name>356</name>
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            <category term="3420festival" />
    
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        <![CDATA[<a href="http://www.ryuissue.com/img/271191911_108.html" onclick="window.open('http://www.ryuissue.com/img/271191911_108.html','popup','width=376,height=496,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.ryuissue.com/img/271191911_108-thumb.jpg" width="320" height="422" alt="" /></a>

<strong>だんじりが人びとに愛されるのは、誰もが破滅的な行動への願望を持っており、組織や国家の一員となって身を委ね、ときには命を失うことへの願望をも潜在的に抱いていることの証左ではないだろうか。 </strong>]]>
        　
だんじりの屋根でうちわをふるいながら指揮をとる、多分選ばれたであろう男たちは、さしずめ指導者、資本家、教祖たち…といったところか。そこに登るためには頭ひとつ抜きん出た何かを必要とするのかもしれないが、映像で見るぶんにはだんじりの周りに群がる無数の男たちとたいして差はない。 

むしろ、だんじりを動かすという根本的な動作にまったく関わっていないだけによりどころがなく、そのたたずまいはよわよわしく目に映る。民家に衝突しただんじりの屋根でうちわを振り回して怒鳴り散らすその姿はあまりにも無力すぎて、滑稽ですらある。また、ひとたびだんじりから転落すれば、骨が砕け、鮮血が噴き出すという点においては、だんじりの周りに群がる無数の男たちと何ら変わりはない。 

そして何といってももの悲しいのは、だんじりのてっぺんに立つ彼らにさえ、祭りのイニシアチブはないかのように見えることだ。 

だんじりそのものが人格を持ち、その見えざる意思に沿って、すべての男たちが踊らされているかのように見えること。この祭りのもつもの悲しさは、ここに尽きるのではないか。 

　*　*　* 

誰も望まざる…とは断じていわないが、多くの人びとが持つ、さまざまな方向に拡散する意思や思惑が集合したときに、その総体が思いもよらぬ方向へのベクトルを持つことはよくある。そして、それがしばしば〈破滅性〉を帯びることについては、ここで歴史上の例を挙げるまでもない。 

だんじりが人びとに愛されるのは、誰もがそうした破滅的な行動への願望を持っており、さらに語弊を恐れずにいえば、その一員となって身を委ね、ときには命を失うことへの願望をも潜在的に抱いていることの証左ではないだろうか。 

そして、たとえば天皇ヒロヒト、堀江貴文、麻原彰晃らがこのだんじりを見たならば、彼らはいったいなにを思っただろうか。そんなことが頭をよぎった。■
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    <title>だんじり考(中)</title>
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    <published>2007-02-18T16:56:58Z</published>
    <updated>2007-02-18T17:25:44Z</updated>
    
    <summary>まず、その圧倒的な猪突猛進ぶりだ。盆踊りとはあまりにも対照的な、直線的な動きである。だんじりは、あらゆる社会や組織がときとして持ちうる破滅性を、ほかの何よりもみごとに表現している。</summary>
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        <![CDATA[<object width="320" height="263"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/x1FnCpQs6yg"></param><param name="wmode" value="transparent"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/x1FnCpQs6yg" type="application/x-shockwave-flash" wmode="transparent" width="320" height="263"></embed></object>
youtube「'97- 岸和田だんじり祭り　事故集」 

<strong>まず、その圧倒的な猪突猛進ぶりだ。盆踊りとはあまりにも対照的な、直線的な動きである。だんじりは、あらゆる社会や組織がときとして持ちうる破滅性を、ほかの何よりもみごとに表現している。</strong>]]>
        <![CDATA[　
男たちが「だんじり」とよばれる山車を無謀とも思えるスピードで狭い路地を引き回したり、それ同士をぶつけ合って勝負したりする。だんじりの転倒や衝突はあたりまえだ。電信柱を倒したり、民家に突っ込むこともざらだし、毎年、何人も死ぬ。 

関東からわざわざ参戦したとなれば一生ハナシのネタになりそうなものである。名残り惜しさにネットでだんじりを検索してみると、どういうわけかyoutubeにけっこうな数の動画がアップされている。 

じっさいに映像で見るのははじめてだったのだが、たちまち目が釘付けになった。しばらく見ていたら、やはりそこにひとつの世界の縮図が見えてしまい、とてつもないもの悲しさにおそわれた。 

　*　*　* 

まず、その圧倒的な猪突猛進ぶりだ。盆踊りとはあまりにも対照的な、直線的な動きである。あらゆる社会や組織がときとして持ちうる破滅性を、ほかの何よりもみごとに表現している。 

たとえばそれは、身もフタもない例えかたをすれば、ファシズムに傾倒する国家のようでもあり、新自由主義や資本主義の原則に忠実に従って盲進する企業のようでもあり、テロへと突き進む宗教的または思想的団体のようでもある…。 

だんじりの周りに蟻のように群がる無数の男たちは、そういった社会や組織や団体に属する兵隊たち、あるいは会社員たち、信者たちだ。このだんじりの場においては、おのおのの個性や人格はまったく隠蔽されてしまっている。ひとりやふたり程度が転ぼうとも、置いてけぼりにされようとも、大勢にはまったく影響もなく、そして落伍者が省みられることはない。(続く) 

<a href="http://www.ryuissue.com/2705culture/3420festival/post_12/">だんじり考（下）を読む</a>
]]>
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    <title>だんじり考(上)</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.ryuissue.com/2705culture/3420festival/post_10/" />
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    <published>2007-02-18T16:39:53Z</published>
    <updated>2007-02-18T17:14:02Z</updated>
    
    <summary>祭りは、多かれ少なかれ、わたしたちを取り巻く社会の縮図を単純化した形で私たちの目の前に現出させる構造を有している。これを目の当たりにすることは、ときに人の気持ちを絶望へと追いやり、ときには死へと向かわせる作用をもちうる。では、だんじりが表象する「社会の縮図」とは一体何か。</summary>
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            <category term="3420festival" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.ryuissue.com/">
        <![CDATA[<a href="http://www.ryuissue.com/img/257744056_75.html" onclick="window.open('http://www.ryuissue.com/img/257744056_75.html','popup','width=640,height=507,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.ryuissue.com/img/257744056_75-thumb.jpg" width="320" height="253" alt="" /></a>

<strong>祭りは、多かれ少なかれ、わたしたちを取り巻く社会の縮図を単純化した形で私たちの目の前に現出させる構造を有している。これを目の当たりにすることは、ときに人の気持ちを絶望へと追いやり、ときには死へと向かわせる作用をもちうる。では、あの勇壮さで知られる祭り「だんじり」が表象する「社会の縮図」とは一体何か。</strong>]]>
        <![CDATA[　
薄暗い提灯の灯かりに照らされて、人びとが円弧を描きながら、いつ終わるとも知れずおどりつづける。おどりの輪には、始点もなければ終点もない。 

知っている顔が輪のなかでおどっている。前に進み、後ろに戻りを繰り返しながら暗闇の中から現われたその顔は、たゆたうような動きをくりかえしながら、また暗闇へと消えていく。 

この盆踊りという祭りは、ほかのどんな仏教行事よりも、無常観や、輪廻転生の世界観をみごとに表現している。 

また、長良川の鵜飼いを、かの松尾芭蕉は「おもしろうて　やがてかなしき　鵜舟かな」と詠んだ。芭蕉は、鵜飼に操られ、魚をくちばしで捕らえたと思えばすぐにそれを吐き出させられるこっけいな鵜のすがたに、人間社会の一縮図とでもいうべきもの悲しさを見ている。 

<a href="http://www.ryuissue.com/img/257744056_2031.html" onclick="window.open('http://www.ryuissue.com/img/257744056_2031.html','popup','width=384,height=314,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.ryuissue.com/img/257744056_203-thumb.jpg" width="320" height="261" alt="" /></a>
　 
祭りというものは、多かれ少なかれ、人間の一生やわたしたちの生きている社会の一場面、あるいは世界すべての縮図ともいえる構造を内部に有しているとおもう。 

しかもこれらの構造は、祭りや踊りの動作として極端に単純化されたかたちで表象される。すると人は、日常生活に追われるうちにすっかり忘れてしまっている、じぶんの生きている世界の構図を俯瞰的な視点で目の当たりにすることになる。蟻の視点ではなく、鳥の視点だといってもよい。 

きっと、祭りというものがもち合わせるもの悲しさというのは、この鳥瞰的な視点によって、たとえ模式的なかたちであれ、自分の生きている世界の縮図、あるいは自分の人生の構造について目の当たりにしてしまった一種の不幸がかもしだすのではないかとおもう。 

自分の住んでいる世界や人生のすべてがわかってしまうということは、(たとえそれがわかったつもりにすぎなかったとしても)人の気持ちを絶望へと追いやり、ときには死へと向かわせる作用をもちうるからだ。 

　*　*　* 

さて、９月ごろのことだったか。堺に住む友人K氏から、冗談半分で「10月にだんじりあんねんけど来おへん？」と誘われた。けっきょくいつの間にか祭りは終わっていたのだが、ご存じの通り、だんじりはたいへん勇壮ですさまじい祭りだ。
(続く)
　 
<a href="http://www.ryuissue.com/2705culture/3420festival/post_11/">だんじり考（中）を読む</a>
<a href="http://www.ryuissue.com/2705culture/3420festival/post_12/">だんじり考（下）を読む</a>]]>
    </content>
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    <title>私の好きな東京のウネウネ</title>
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    <published>2006-12-23T16:01:13Z</published>
    <updated>2007-02-18T16:54:31Z</updated>
    
    <summary> それは、飛鳥山で明治通りに合流した都電荒川線が、無数のクルマとともに王子めがけ...</summary>
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        <![CDATA[<a href="http://www.ryuissue.com/img/20061223%20-%20%E9%83%BD%E9%9B%BB%E8%8D%92%E5%B7%9D%E7%B7%9A%20022.jpg"><img alt="20061223 - 都電荒川線 022.jpg" src="http://www.ryuissue.com/img/20061223%20-%20%E9%83%BD%E9%9B%BB%E8%8D%92%E5%B7%9D%E7%B7%9A%20022-thumb.jpg" width="320" height="240" /></a>






<strong>それは、飛鳥山で明治通りに合流した都電荒川線が、無数のクルマとともに王子めがけてひと思いに下っていくスラローム。 </strong>]]>
        <![CDATA[*　*　* 

友人O氏が企画する忘年会のイベントで、貸切の都電に乗った。 
早稲田から三ノ輪橋まで50分弱。13820円也。一両貸し切っても、のぞみで東京から大阪まで行くのと同じくらいの料金だ。 
十数人あつまったので、ひとり1000円ていど。 

<img alt="20061223 - 都電荒川線 031.jpg" src="http://www.ryuissue.com/img/20061223%20-%20%E9%83%BD%E9%9B%BB%E8%8D%92%E5%B7%9D%E7%B7%9A%20031.jpg" width="300" height="400" />


三ノ輪では、豪華絢爛な食品サンプルを飾った喫茶店を発見。 
撮った写真をあとで確認していたら、右下に「プリン アラモード」(表記は当該店舗の表記に準ず)を発見。寄っておけばよかったといたく後悔。 

その後数人で浅草まで歩き、もんじゃ焼きを食す。倍賞千恵子風の女将にひたすら叱責されながらもんじゃを食す。これは新手のツンデレ喫茶だと思った。 
　
<img alt="20061223 - 都電荒川線 061.jpg" src="http://www.ryuissue.com/img/20061223%20-%20%E9%83%BD%E9%9B%BB%E8%8D%92%E5%B7%9D%E7%B7%9A%20061.jpg" width="300" height="225" />

]]>
    </content>
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    <title>退屈なデザインばかりの携帯電話にドロップキック</title>
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    <published>2006-10-01T10:05:04Z</published>
    <updated>2007-02-18T17:17:01Z</updated>
    
    <summary>退屈なデザインばかりの携帯電話に脳天直撃のドロップキックをかます“神”機種がいよいよ降臨する！それは、あの米国モトローラ社が満を持して日本市場に投入する｢M702is｣だ。FOMAで最も薄い厚さ14.9mmのスリムデザイン、アルミボディやステンレスキーパッドを使用した先進的なデザイン…とか細かい説明はもはや不要。とにかくカッコいい。</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.ryuissue.com/">
        <![CDATA[<strong>　　　モトローラM702iS、日本上陸</strong>

<img alt="m702-1.jpg" src="http://www.ryuissue.com/img/m702-1.jpg" width="320" height="294" />


<strong>退屈なデザインばかりの携帯電話に脳天直撃のドロップキックをかます“神”機種がいよいよ降臨する！それは、あの米国モトローラ社が満を持して日本市場に投入する｢M702is｣だ。FOMAで最も薄い厚さ14.9mmのスリムデザイン、アルミボディやステンレスキーパッドを使用した先進的なデザイン…とか細かい説明はもはや不要。とにかくカッコいい。</strong>]]>
        <![CDATA[アメリカや欧州をはじめとする世界中で大ヒットした「RAZR(ライザー)｣を日本向けにリファイン。クルマ風にいえば、さしずめ｢世界戦略ケータイ」といったところだ。

何につけ、日本人はドメスティックブランドへの忠誠度がずば抜けて高い人種だ。たとえば、クルマでも国産車のシェアがこれほど高い国はない。まあ、百歩譲ってクルマはよしとしよう。日本メーカーの自動車はグローバルな規模で見ても通用している。

ところが携帯電話はどうだ。国内家電メーカーの携帯電話は海の向こうではまったくといってよいほど勝負になっていない。世界的に見れば、携帯電話メーカーのシェアはノキアやモトローラといった欧米のブランドが圧倒的だ。

日本国内に目を転じると、小利口な家電メーカーがこしらえた、こざかしくてアタマでっかちでおよそクールとはほど遠いケータイばっかりがはばを利かしている。しかも過度のモデルチェンジを繰り返したばかりに、デザインは出がらしのようになってしまっている。

たしかに、いままでの海外メーカーの携帯電話は“平均的な”日本人に訴求しうるだけの魅力に乏しかったことは事実だが、これは一種の“鎖国”とでもいうべき異常な状態だったのである。

そこにきてようやく、この「M702is」である。だれが見てもかっこいいし、実際にIT系サイトのアンケートでは、この夏に市場投入されるドコモ702ixシリーズのなかでもダントツの１番人気となっている。なにしろ、あのDolce & Gabbanaとコラボレートするほどであるから、格がちがう。

<img alt="m702-2.jpg" src="http://www.ryuissue.com/img/m702-2.jpg" width="462" height="327" />
<span style="font-size: xx-small">Dolce & Gabbanaとコラボレートしたモデルの広告。</span>


このM702is、きっと携帯電話界の“黒船”となるに違いない。

モトローラというのは不思議なブランドで、日本において製品がほとんど流通していないわりに、ブランドの知名度や好感度はずばぬけて高い。

そんなブランドが魅力的なプロダクツを投入したらどうなるか。
鬼に金棒どころか、モトローラという燎原の火は瞬く間に日本中に広がることだろう。■

<a href="http://www.nttdocomo.co.jp/product/foma/702i/m702is">FOMA M702iS | 製品 | NTTドコモ </a>
<a href="http://eng.dolcegabbana.it/motorola06.asp">Dolce&Gabbana MOTORAZR V3i </a>]]>
    </content>
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    <title>バーンズ＆ノーブルにゆく④</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.ryuissue.com/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=4/entry_id=22" title="バーンズ＆ノーブルにゆく④" />
    <id>tag:www.ryuissue.com,2005://4.22</id>
    
    <published>2005-12-15T11:33:58Z</published>
    <updated>2006-10-01T11:48:39Z</updated>
    
    <summary> 店内をまわっていてわたしが気に入ったのは、バーンズ＆ノーブルのギフトカードだ。...</summary>
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            <category term="3415publishing" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.ryuissue.com/">
        <![CDATA[<a href="http://www.ryuissue.com/img/bn4.jpg"><img alt="bn4.jpg" src="http://www.ryuissue.com/img/bn4-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a>

店内をまわっていてわたしが気に入ったのは、バーンズ＆ノーブルのギフトカードだ。これはわが国でいえば図書カードのようなものだが、もちろんどの本屋でも使えるというわけではない。贈り主が任意の金額をチャージすることができ、カードの絵柄は子供向けから大人向けまで豊富に用意されている。]]>
        <![CDATA[
<strong>　｜　異国のどこかの位置</strong> 

写真を見てもらえればわかるように、クレジットカードほどの厚みのある磁気カードと付属のグリーティングカードが同じ絵柄で統一されており、非常に洗練されたデザインとなっている。これは、何はなくとも誰かにカードを贈りたくなるようなデザインだ。 

考えてみれば、わが国でも「だれかに贈りたくなるような図書カード」をつくれば、もらった側は自腹がいたむわけではないので値の張る本でも買うようになるわけだ。かりに人びとが図書カードをさかんに贈りあうようになったら、出版不況などというものはたちまち雲散霧消してしまうにちがいない。このアイデアは名案だとおもうが、どうか。 

いまのところわが国の図書カードはピーターラビットやら印象派の絵画やら辛気くさい絵柄のものばかりで、しかも薄っぺらいので所有感にもとぼしく、財布のなかに入れていても存在感がない。 

さて帰国後、バーンズアンドノーブルのウェッブサイトで検索したところ、わたしが立ち寄ったのは同チェーンのマンハッタン・ビーチ店であることがわかった。マンハッタン・ビーチ市は、サンタモニカ、マリナ・デル・レイなどとともに海岸沿いに位置するＬＡ近郊の都市である。わが国でいえば鎌倉か逗子あたりだろうか。そういうことがわかると、多少は店内に知的な雰囲気が漂ったのもさもありなんと思えてくるから不思議なものだ。 

いまや、ラルフスやウォルマートなどといったスーパーマーケットチェーンにしろ、トイザラスのような玩具店にしろ、はるか海のかなたの異国で道すがらにふらりと立ち寄ったスポットの位置について特定することができるばかりか、その店内のようす、生鮮食品やおもちゃの品揃えまでを、いながらにして手に入れることができるのだ。ままよ、旅の記憶はセピア色の忘却の彼方へ――という考えかたに与するかどうかはべつにしても、これは考えてみればみるほどすさまじい時代なのだ。（了）■]]>
    </content>
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    <title>バーンズ＆ノーブルにゆく③</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.ryuissue.com/2705culture/3415publishing/post_6/" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.ryuissue.com/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=4/entry_id=21" title="バーンズ＆ノーブルにゆく③" />
    <id>tag:www.ryuissue.com,2005://4.21</id>
    
    <published>2005-12-14T11:29:19Z</published>
    <updated>2006-10-01T11:47:54Z</updated>
    
    <summary> 規模のことはさておき、特筆すべきはさっきすこし触れた店内の雰囲気だ。店内のそこ...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.ryuissue.com/">
        <![CDATA[<a href="http://www.ryuissue.com/img/bn3.jpg"><img alt="bn3.jpg" src="http://www.ryuissue.com/img/bn3-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a>

規模のことはさておき、特筆すべきはさっきすこし触れた店内の雰囲気だ。店内のそこここにはソファーが置かれ、手に取った本を読みながらくつろぐことができる。また、店内にはスターバックスが併設され、買ったばかりの本をめくりながらコーヒーをたのしむこともできるし、専門書探しの合い間に一息いれることもできる。いわば「立ち読み歓迎」「飲食歓迎」の書店なのだ。ちなみに、スターバックスのイメージカラーは、バーンズ＆ノーブルと同じダークグリーン。ここにも緻密なイメージ戦略が見てとれる。 ]]>
        <![CDATA[<strong>　｜　コーヒーショップのある本屋</strong> 

わが国でもジュンク堂や三省堂書店など、店内にソファーを配したり、同じフロアにコーヒーショップを併設させたりした書店が見られるようになってきたが、じつは、これらの取り組みはすべてバーンズ＆ノーブルに範をとったといわれているのだ。 

店内の一画はＣＤとＤＶＤのコーナーになっており、ジャケットに記載されたバーコードを通すとＣＤを試聴できる機械が設けられている。これはわが国でも英国資本のヴァージン・メガストアで見かけたことがあるが、非常に便利なシステムだ。検索マシンに「Ｕｔａｄａ　Ｈｉｋａｒｕ」と入れて検索してみるといくつかのアルバムがかろうじてヒットしたが、かの地で見るジャケット写真の彼女は売れていないコリアンポップのアーティストのようで非常にさえない。けっきょくわたしはクラシックのＣＤを１枚買いもとめた。税込みで５・５ドルだった。 

店内には、居心地のよさのあまりかソファーに寝そべりながら本を読んでいる女子学生や、なにやら分厚い本を大量に買い込んでいる夫婦や、雑誌を開いて指を差しながら大笑いしているカップルなどの姿が見られる。 

この直前に寄ったスーパーマーケットでは、駐車場に止めたボロボロの日本車の中で、おせじにも身なりがきれいとはいえないふたり組の男性が爆音でヒップホップを響かせながら、よそものの旅行者と見切ってかわれわれの挙動を凝視しており、緊張することこのうえなかった。それに比べてこの店内の雰囲気はどうだ。 

将来はこのバーンズ＆ノーブルの書棚に、自らの手がけた本をならべたいものだとおもった。前にいた会社に取次から届く伝票のなかには、シンガポールや台北の紀伊国屋書店からの注文伝票が混ざることがたまにあったから、あながち夢物語ではあるまい。 
（つづく） 
]]>
    </content>
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    <title>バーンズ＆ノーブルにゆく②</title>
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    <published>2005-12-13T11:39:39Z</published>
    <updated>2006-10-01T11:47:03Z</updated>
    
    <summary> それは書店だった。あたたかい色彩の光が戸外に向けて放たれていたわけはすぐにわか...</summary>
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        <![CDATA[<a href="http://www.ryuissue.com/img/bn2.jpg"><img alt="bn2.jpg" src="http://www.ryuissue.com/img/bn2-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a>

それは書店だった。あたたかい色彩の光が戸外に向けて放たれていたわけはすぐにわかった。ベージュ色のじゅうたん、木目調の本棚。店内に掲げられたポスターのたぐいはすべてダークグリーンのイメージカラーで統一されている。そして、高い天井にはあたたかい色の光を放つ白熱電球のペンダントが吊るされている。居心地のよいリビングルームを思わせる店内の雰囲気は、青白い蛍光灯が店内を冷たく照らすスーパーマーケットのそれとは対極にあった。]]>
        <![CDATA[<strong>　｜　“The World's Largest Bookstore” </strong>

やがてわたしは、そこがアメリカ最大の書店チェーンとして知られるバーンズ＆ノーブルであることに気づいた。 

といっても、多くの人にとってはなじみのない名前だろう。 
全米に1000店以上の店舗網を誇る世界有数の書店チェーンだ。マンハッタンの５番街に居を構えるロックフェラー・センター店には、誇らしげに“The World's Largest Bookstore”の看板が掲げられているとかいないとか。年商は70億ドルになんなんとし、ニューヨーク証券市場にも上場している（ちなみに紀伊国屋書店の年商は1200億円なので、約10億ドルということになる）。また、米国内のオンライン書店としてはアマゾン・コムと双璧をなす。 

また、アメリカでは同社の出店攻勢のために年間50もの書店が消える運命にあるという。これは、アメリカでは書店業界においてもアングロサクソン的、自由主義的な市場の寡占化が進行していることの一断面である。 
(つづく) ]]>
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    <title>バーンズ＆ノーブルにゆく①</title>
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    <published>2005-12-12T11:08:10Z</published>
    <updated>2007-02-19T11:45:37Z</updated>
    
    <summary> ロサンゼルス郊外の幹線道路を、わが国よりいくぶんか暗い街灯をたよりにひた走って...</summary>
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        <![CDATA[<a href="http://www.ryuissue.com/img/62757292_128.jpg"><img alt="62757292_128.jpg" src="http://www.ryuissue.com/img/62757292_128-thumb.jpg" width="300" height="225" /></a>


ロサンゼルス郊外の幹線道路を、わが国よりいくぶんか暗い街灯をたよりにひた走っていたとき、いくつかの大規模商業施設が寄り集まったブロックのなかに、ほかの商業施設とは異なるあたたかい色彩のあかりを外に放つガラス張りの店舗を見つけた。わたしは、そこがアメリカ最大の書店チェーンとして知られるバーンズ＆ノーブルであることに気づいた。
]]>
        <![CDATA[<strong>　│　ロ ー ド サ イ ド の 風 景 </strong>

ガスステーション、だだっ広いショッピングセンター、だだっ広い倉庫、用途はよくわからないがこれまただだっ広い建物。空き地。そしてまたショッピングセンター。この繰り返し。 

アメリカのロードサイドの風景を文字にするとだいたいこのようなものになる。おおよそ知性を感じさせる要素は見あたらない。 

もちろん、ひるがえってわが国に思いをめぐらせても大差があるわけではない。外国からおとずれた客人をクルマに乗せて東京環状をひと回りしたとしても、やはり異口同音に「トーキョウのロードサイドには知性を感じさせるものがない」の声を聞くにちがいない。 

無理もないだろう。≪人間集団がつくり出した都市は人体の機能を補う施設の集積で成り立っている≫という言説にもとづけば、都市機能の拡張において地理的制約なく、またおなじく都市機能の発現において時間的制約のない郊外というエリアはしぜん、辺縁にいたるまでとめどなく広がる人間の欲望装置のもっとも露骨で野放図な現出の一形態をなすであろうからだ。 

内外を問わず、凶悪犯罪のたぐいがこの郊外エリアに多いのも、そういった事情となにか連関しているのかもしれないが、そういったことについて考察を加えることはこの稿の目的ではない。 

わが国との比較ということでいえば、ＬＡを縦横無尽につらぬくハイウェイを何回か利用したが、そのランプ近くにも、人間の三大欲求のうちのふたつを同時に充足させる、けばけばしいネオンとキッチュな外観の宿泊施設は見あたらず、その点ではわが国よりも健全であるといえるかもしれない。 

土曜の夜、そんなロサンゼルス郊外の幹線道路を、わが国よりいくぶんか暗い街灯をたよりにひた走っていたとき、いくつかの大規模商業施設が寄り集まったブロックのなかに、ほかの商業施設とは異なるあたたかい色彩のあかりを外に放つガラス張りの店舗を見つけた。わたしは車を急転回させ、その店の駐車場にすべりこませた。 

(つづく) ]]>
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    <title>ペットボトルは近未来の夢をみるか</title>
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    <id>tag:www.ryuissue.com,2005://4.12</id>
    
    <published>2005-05-18T15:04:55Z</published>
    <updated>2006-07-23T16:53:35Z</updated>
    
    <summary> 新しくなったＤＡＫＡＲＡのペットボトルのデザインが、あまりにも先進的でクールな...</summary>
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        <![CDATA[<p>
<img alt="dakara02.jpg" src="http://www.ryuissue.com/img/dakara02.jpg" width="500" height="300" />
</p>
<p>
新しくなったＤＡＫＡＲＡのペットボトルのデザインが、あまりにも先進的でクールなので、さかさにして、気泡の動きで遊んだり、ボトルの表面を指でなぞったり、ちょっと童心にかえってしまった。
</p>
]]>
        <![CDATA[<pre>
<strong><span style="font-size: xx-small">　┃　ラウンディッシュだけどスクウェア</span></strong>　
</pre>
<p class="yourclass01">
<span class="yourclass02">&nbsp;ずっと触わっていたくなる、というのは、よいプロダクツのひとつの条件ではないかとおもう。クルマや、グラビアのなかの美女などは、むやみやたらに触ることもできないので、それこそなめるようにして眺めているほかないのだが、やはり、それが手のひらにおさまるくらいのサイズのものならば、手のひらのなかでころがして、質感や温度をずっとあじわっていたいとおもう。ぎゃくにいうと、そのような感情を呼び起こすことのできるものこそが、ひいては所有欲をも満たすことができるプロダクツなのではないか。</span>&nbsp;<br />
<br />
まさか、ありふれたペットボトルにそんな感情を抱くことになるとは考えたこともなかったけれども、新しくなったＤＡＫＡＲＡのペットボトルのデザインが、あまりにも先進的でクールなので、さかさにして、気泡の動きで遊んだり、ボトルの表面を指でなぞったり、ちょっと童心にかえってしまった。<br />
<br />
内容量はいままでとかわらない500ｍｌなのだが、そのカタチはカドのとれた四角錐といえばわかりやすいか。やや細身でスレンダーになったボトルデザインは、ヘンなシボ（表面の凹凸）がないためつるりとしたテクスチュアが特徴的だ。ショルダーラインのカーブもとてもセクシーだ。<br />
<br />
このラウンディッシュなスクウェアというカタチは、手のひらになじむ感覚――触感覚の「生体適合性」のようなもの――と、マッシブな存在感というものをうまく両立させることに成功している。あのiＰodにも通じるものだ。<br />
<br />
iPodのデザインも、ひとの触覚にたいするつよい訴求力をもつ。リモートコントローラーを介せずに、直接に本体を手のひらのなかにおさめて操作させるというスタイルは、ディスクマンでは大きすぎて不可能だし、ポータビリティへと方向性を振りすぎたＭＰ３オーディオでもやはり不可能だ。そこには、いやがおうでもあのメタルの触感へと身体をアクセスさせようというきわめて明確な意思がある。
</p>
<img alt="01.jpg" src="http://www.ryuissue.com/img/01.jpg" width="500" height="313" />
<p>
<strong>　┃　スケルトンの必要性</strong>
</p>
<p>
数あるプロダクツのなかでも、ペットボトルはどちらかというと、ひじょうに醜い部類に位置するはずだ。図体がでかく、やたらと場所をとり、必要以上の存在感を発する。そのくせ、開栓して内容物が減ってくるにつれて増してくる、いかにもゴミ然としたその風貌だ。古いコカコーラの瓶のように、カラになった容器を飾っておいても絵になる、というような美的な要素はまったく欠如してしまっている。 　そこにいくと、このきわめてスレンダーなボトル・デザインは、ペットボトルのいかにもゴミ然とした存在感をやわらげるという意味でもひじょうに成功している。<br />
<br />
家具やガジェットのなかで、スケルトン・デザインがもてはやされるようになった背景には、わたしたちの身の回りにあまりに多くのモノがあふれはじめたために、それぞれのプロダクツのもつ存在感をできるだけやわらげようという逆向きのちからがはたらいていたことは論をまたないが、これは、かつてのテレビやラジオが本木目や緞帳で彩られていたことをかんがえればかんたんに理解できる。その意味でも、このペットボトル・デザインもスケルトン・デザインの延長上に位置づけることができるとおもう。<br />
<img alt="03.jpg" src="http://www.ryuissue.com/img/03.jpg" width="500" height="375" />
<br />
内容物がやや白濁した透明な液体であるところも、非常に近未来的だ。あるいは、液晶（liquid crystal)は、まいにちわたしたちが接しているわりには、その実体を見る機会もさわる機会もない。だが、もし見えるとするならば、こういう色をして、こんな丸みを帯びたスクウェアな容器に入っているのではないか、とおもう。また、「21世紀の真空管」というものをカタチにしたならば、きっとこんなカタチになるはずだ。<br />
<br />
また、ふつうのペットボトルがずらっと冷蔵庫に並んでいる光景はとても寒々しいが、この乳白色で透明な液体で満たされたペットボトルがならんでいる光景を想像してみると、とてもドリーミーで、たとえるならばＳ・キューブリックの近未来映画の一場面のようだ。　■
</p>
]]>
    </content>
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    <title>このＣＭ①――日本生命　企業広告</title>
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    <published>2005-03-16T17:20:21Z</published>
    <updated>2006-07-24T17:34:42Z</updated>
    
    <summary> 「保険には、ダイヤモンドの輝きもなければ、パソコンの便利さもありません&amp;hel...</summary>
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        <![CDATA[<a href="http://www.ryuissue.com/img/aisuruhitonotameni.jpg"><img alt="aisuruhitonotameni.jpg" src="http://www.ryuissue.com/img/aisuruhitonotameni-thumb.jpg" width="300"/></a>

「保険には、ダイヤモンドの輝きもなければ、パソコンの便利さもありません&hellip;」のナレーションではじまるニッセイのＣＭが秀逸だ。保険というカタチのとらえづらい商品にこれ以上ないくらいうまい光の当てかたをしている。<br />
]]>
        <![CDATA[「保険には、ダイヤモンドの輝きもなければ、パソコンの便利さもありません&hellip;」のナレーションではじまるニッセイのＣＭが秀逸だ。

谷川俊太郎（むべなるかな、である。もしコピーライターの作品だったら、どれほど胆力のある人間であろうか）の詩は、保険というカタチのとらえづらい商品にこれ以上ないくらいうまい光の当てかたをしている。

ＢＧＭも、映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネのあの曲。このメロディを耳にして涙腺がゆるまずにいられようか。

しかも、果敢にもゴールデンの時間帯に60秒ＣＭを流している。いまどき、30秒ＣＭですらなかなかお目にかかれないご時世である。日本全国で、夕げどきの食卓の箸の動きを止めていることまちがいナシだ。ぎゃくに、家族と見ていると気まずくなるので放送をごカンベンねがいたいくらいである。

2004年度に放映されたＣＭのうちでもトップレベルに入る作品である。

ＣＭには２つのバージョンがあるけれども、駅の改札を舞台に親子を定点観測しながら、流れゆく歳月のうつろいを切り取って見せる「改札編」がお気に入りです。■

<a href="http://www.nissay.co.jp/kojin/present/cm/kaisatu/index.html" target="_blank">日本生命保険相互会社　CM情報</a>
</p>
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