サブアーバン・ブックストア (I)
昨今の“まちの本屋さん”の多分にもれず、かねがね経営が苦しいという話は聞いていた。それは店を見れば一目瞭然だった。店内の蛍光灯は明かりが落とされ、昼間でも店内は薄暗い。店のオヤジに「これじゃお客さんがはいらないじゃないか」というと「明かりはお客さんがきたときにつければいいんだよ」というようなありさまであった。オヤジは数年前から「いつ店をたたむか、そればかり考えてんだよ」と繰り返していたが、ついにその時がきてしまったということだ。
団地は、東京の西のはずれに位置する。新宿から東京都西部へと至る私鉄の急行電車で50分。東京六大学のひとつにも数えられる大学のキャンパスの最寄り駅で下車し、さらにバスに揺られること10分。山の中だ。
高度成長期には、多摩ニュータウンや千里ニュータウンに代表される大規模な団地開発が大都市圏郊外のあちこちであいついだ。ここもそのひとつで、丘陵をまるごとひとつ切り開いて造成された都市計画団地だ。
完成が昭和50年代後半とわりあい遅かったこともあって、ぎゅうぎゅう詰めのウサギ小屋のようなアパートはさすがに存在しない。街路樹の植えられた幅の広い道路が団地内にめぐらされている。丘のてっぺんには小学校があり、団地のどこからでもその姿を望むことができる。住居は、いわゆる戸建てふう集合住宅であるメゾネットが中心だ。ビバリーヒルズばりとはいわないが、完成当時はそこそこに瀟洒なつくりだったはずだ。
中心部には、団地にお約束の商店街エリアが存在する。スーパーマーケットや電器屋、薬局、ベーカリー、銀行、郵便局、病院などといったひととおりの施設が揃い、それなりに町の体をなしていた。その本屋も、商店街の一角に店を構えていた。
山の中の団地なので、自転車くらいしかアシがない子どもたちは、何かにつけ必然的にこの商店街に足を運ぶことになる。小学生のころには、みながその本屋で少年ジャンプを毎週買い、店の前のコインゲーム機に熱中した。
本屋の親父がふつうの商店主とすこし毛色が違ったのは、自らがその団地の建設に携わったゼネコンの社員だったということだ。なんでも、みずからが手がけた団地に文化を根付かせようと一念発起して会社を辞め、骨をうずめる覚悟で本屋を開いたのだという。
“文化”うんぬんという当初の目的が果たせたかどうかについては議論の余地があるが、オヤジはあるときには住人の相談役となり、あるときには不良の更生役となった。しごくまっとうな“ニッポンの商店街のオヤジ”として、団地内で存在感を発していたことには疑う余地がない。
(つづく)
